ちょうど半年前のこと、その日はどうしても朝のうちに両替にでかけなければなりませんでした。
いま思えばとても稀で不自然な状況。
仕込みがひと段落して銀行まで自転車で出かけようとしたそのとき、「ドーン」という聞き慣れない音。
何の音かも分からず、気になりながらも先を急ごうと通りに出た瞬間、ふと目に飛び込んできた光景は店の前の3車線の通りの真ん中で車に轢かれた猫の姿でした。
車の往来を止めて慌てて駆け寄り抱きかかえたものの、口元からは出血もあり即死でした。
その猫は小さい頃から店の近くでよく見かけてた子で、私たちにもだいぶ慣れていました。
2、3ヶ月のあいだ姿を見ないので少し心配していたのですが、久々に戻ってきた矢先の出来事。
まだ若いのに、あんなにたくましく生きてきたのに…。
あまりに突然のことに言葉もなく、ぐったりと横たわるまだ温かいその体を抱きしめながら、いろんなやりきれない気持ちがこみ上げてくるのをただただ堪えることしかできませんでした。
車の運転手は何か感じたのかな…、
あれだけの衝撃なら気付かないはずはないんだけど、そのまま通り過ぎちゃったかな…、
通りすがりの猫のことなんて、何も思わないかな…、
もしあのタイミングで僕が外に出かけなかったら、車に再び轢かれる前に誰か助けてくれたかな…、
この子の死を他に誰が悲しんでくれるのかな…、
なんて。
野良の猫に通りを横断するなと言うのは無理な話だけど、いまの社会はどうぶつたちにとって過ごしやすい環境とは曲がりなりにも言えないと世界です。誰かが手を差し伸べないと失われるいのちがごまんとあります。
やりっ放しは確かにいけないとは思いますが、誰かに任せ、見て見ぬふりをして、いざとなれば責任を押し付けてといった具合では救われるいのちも救われないと思います。
時にはまわりに迷惑がかかることもあるでしょう。
でも、そのまわりの人々の理解とわずかな協力、あたたかく見守るこころで多くのいのちが救われるというなら、それこそが共存の道といえるのかもしれません。
私たちは彼を‘元気’と呼んでいました。
彼が生きた証は私たちのこころに深く刻まれ、けっして忘れることはないでしょう。ありがとね、元気。
そしてまた新たないのちの育みを見守りながら。
posted by 喫茶ひるねこ at 23:13|
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